羽鳥湖から只見の河井継之助記念館へ

羽鳥湖から只見町の河井継之助記念館まで車で2時間、100キロの道程です。『地下百尺底の心を以て事に当たる』とは河井継之助の名言ですが、河井継之助司馬遼太郎歴史小説「峠」で知られる幕末の英雄ですね。藩政の改革や藩財政の確立、兵制の改革をするなどして、長岡藩を奥羽の雄藩にすべくその基礎を作り上げた幕末の家老です。
1868年1月、会津・桑名を中心とする旧幕府軍と新政府軍との間で鳥羽・伏見の戦いが始まり、戊辰戦争が勃発すると、河井継之助は、江戸藩邸を処分し家宝などをすべて売却。その金で暴落した米を買って函館へ運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金を増やし、日本に3門しかなかったガトリング砲を武器商人スネルから2門1万両で購入とあります。非常に合理的な人だったんでしょうね。河井継之助自身は、一藩武装中立という態度で、小千谷の新政府軍本陣に乗り込み、付近の慈眼寺において新政府軍監だった土佐の岩村精一郎と会談に臨みましだが、30分で決裂、結果、長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わり、2日後に北越戦争へと突入。長岡城攻防戦では、継之助自ら射手として西軍に対し、大手門の土手を盾にガトリング砲を乱射したとありますから、合理主義者でありながらサムライでもあったんですね。記念館内には、当時のガトリング砲を再現したものが展示してありますよ。それにしても、ガトリング砲が2門1万両ということは、1門5000両ですよね、仮に1両を現在の価格で8万円として計算すると、4億円。1両を6万円で計算すると3億円。何時の時代も、武器は高価で儲かりますね。武器商人が暗躍するわけですね。