福島第1原発:警戒区域に独り 井戸水とろうそくで生活

毎日JP】

東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制されている警戒区域(半径20キロ圏内)の福島県富岡町で、農業、松村直登さん(52)が自宅に一人とどまり続けている。警戒区域の外で毎日新聞のインタビューに応じた松村さんは「命を守るために法律で避難させていることは理解できる。しかし、何十年も避難するぐらいだったら、自分は短い間でも生まれ育った富岡で過ごしたい」と語った。【沢田勇】

 ◇「非難はわかるが短い間でも富岡で過ごしたい」
 松村さん宅は原発の南西約12キロに位置。富岡町内の残留者は一人だけという。震災から約1カ月後、松村さんも同県郡山市内に一時避難した。だが、すし詰め状態で避難所に横たわる被災者を見て「自分には無理だ」と思い、3日ほどで自宅に戻った。「『自分勝手だ』と非難があることも分かっている。罰金ならいくらでも払う。でも自宅に帰ることが犯罪なのか。おれたちは被害者なのに」

 自宅は電気、水道などライフラインが寸断されたままだ。だが、自家用車に使うガソリンなどの燃料は火災を心配する町民が「使って」と提供してくれた。食料は備蓄のコメや缶詰。風呂は井戸水をまきで沸かし、夜はろうそくをともす。「東京のために発電してたのにさ、今じゃ電灯の一つもつかないんだからな」。午後7時には布団に入りラジオに耳を傾ける。

 町内にさまよう数十匹のイヌやネコ、牛約400頭、飼育施設から逃げ出したダチョウなどに、動物愛護団体から送られた餌を毎日数時間かけ、与え歩く。「町に戻った自分にできること」という。

 同居していた両親は静岡県内に避難しているが、避難後に母(80)は認知症になった。伯母は避難先の病院を転々とするうち体調を崩して亡くなった。

 「フクシマ」の現実を世界の人に知ってもらいたいと、英BBCなど欧米メディアの取材に積極的に応じてきた。「人間が作った機械に完璧なものはない。『夢のエネルギー』なんて幻想だ」。怒りを込めて訴えてきた。

 松村さんは線量計を持っておらず、これまでの被ばく線量が分からない。今のところ健康に問題はないという。震災後数カ月は畑の野菜や木に実っていたビワを食べた。「痛くもかゆくもないってことは怖いことだよ」と内部被ばくの不安がよぎる。

 しかし、健康被害が出たとしても「地元を離れる気はない」という。「一日も早く除染が終わって、みんなが帰ってくるのを見届けたい。警戒区域の中にいないとできないこともあると思う。みんなが帰って来られるように自分なりに努力したい」

 ◇4市町村に8人 難しい強制退去
 警戒区域のある9市町村に取材したところ、13日現在、4市町村の区域内に少なくとも8人がとどまっている。内訳は松村直登さんのほか、田村市の60代男性、川内村の50代と80代の女性計2人、楢葉町の男女各2人の高齢者ら。

 原子力災害対策特別措置法に基づいて設定された警戒区域は立ち入り禁止で、違反者には10万円以下の罰金を科したり、拘留できる。

 だが、川内村は「避難を説得してきたが(残留の)意思が非常に固い。食料がない場所に放っておけない」として2週間に1回、女性2人に食料を届けているという。

 国の原子力災害現地対策本部は「強制退去させることも可能だが、住み慣れた土地にとどまりたいという住民を無理やり追い出すのは難しい」。福島県警広報室は「検問所を設け警戒区域への進入を防ぐのが任務。住民を発見した場合は避難を呼びかけ、自治体に伝えてきた」と言う。

 旧ソ連チェルノブイリ原発事故(86年)では「サマショール」(わがままな人)と呼ばれながら立ち入り禁止地域に住み続けた住民がいた。