教育は戦前の暗黒時代へ・・・教育関係者の魂に期待する

武田邦彦中部大学教授

福島では小学校教育でまるで戦前に戻ったかと思う教育関係者の発言が見られる。
ある小学校では、福島から避難することを口にした児童を教諭がみんなの前で名前をよび、「あなたは日本国民ではありません、裏切り者です」と言った。
さらにある小学校(特定しています)では登校時にマスクをした児童に対して、先生が、「マスクを取りなさい! その様な行為が風評被害を招くのです!」と叱った。

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こんなことが今の時代にあるのか?!とビックリするが、これに類したことは原発事故以来、かなり多く、私も直接(校長先生からのメールなど)、間接(読者の方からのご連絡)に接してきた。戦後、「日の丸、君が代」も拒否し、ひたすら「民主教育」、「個人の尊厳」を中心にしてきた学校はどうなってしまったのだろうか?
また、朝日新聞をはじめとしたマスコミもおおかたは「個人の尊厳、民主的教育」を支持してきたのではなかったか? 
今回の原発事故は、そのものが「原子力安全審査における不誠実」が一つの原因になったのは間違いない。私たちはここで「福島原発事故の教訓を活かして、どんな場合でも誠実な日本人であること」が求められており、さらに教育、医学、行政などの分野でより強く意識しなければならないのは当然でもある。
福島の汚染地帯にいる子供たちは「違法に滞在している状態」である。子供たちは法律を知らないが、教師は法律や規則を勉強して子供たちを守る立場にある。ここに上げた二つの例は、いずれも土壌汚染が1平方メートルあたり4万ベクレルを超える地域であり、学校の先生は法律の規定に従い、学校の放射性物質を除去することを東電に求めて子供を守る必要がある。
法律の制限を約40倍超える外部被曝をさせた文科省、法律の制限を約40倍超える被曝をさせた給食担当者、短い期間だから問題ないといって汚染された地域へ生徒を修学旅行に連れて行った校長先生・・・今回の福島原発事故は教育界の腐敗を示したとも言える.

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原発は危険だから東京には作れない」といって、東京の電気を福島で作っていた。なぜ、福島の人がそれを受け入れたのだろうか? 東京にはA級国民が住んでいて、福島の人はB級国民だからだろう。お金を持っている東京の人は「電気は欲しいけれど子供は被曝させたくない」と言い、貧乏な福島の人は「ご主人様がそう言われるのだから我慢しよう」と言う。
この先生方の言葉を聞いて、私は福島の先生が子供たちに「被曝は受け入れなさい。ご主人様のご命令だよ」と言っているように聞こえる。「絆」という字がいかにも欺瞞に聞こえるのはその所為だろう。
被曝を避ける子供に「裏切り者、非国民、風評被害」となじる先生の姿は鬼にしかみえない。政府、マスコミも野蛮人に見えたが、実は福島の先生も野蛮人で、被曝を良しとするなら、仕方が無い。
しかし、残念だ。そんな日本に住んでいると思うと残念だ。今まで、なんで先生の言うことを聞き、新聞を読んできたのだろう・・・・・・

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昨日、「医師と被曝の限度」について記事を書いた.記事に対するご意見を医師の方からいただき、今、また深く考えている.医師、教師など社会的に尊敬され、また尊敬されなければいけない職業が危機に瀕していることは確かだ.
福島の保護者も先生も児童を被曝させたいなら、それもそれでよいのだろうか?
今、教育の本を執筆している.どう考えるべきだろうか? 何が起こって、また起ころうとしているのだろうか? 拝金主義の蔓延というそれだけだろうか? このことについて深い考察をすることもまた、将来の日本社会にとって必要なことだろうと思う.


平成24年2月26日) 武田邦彦