これが那須塩原市在住の私からの渡辺喜美に送るメッセージだ

天木直人

私は5月15日のメルマガ第378号で「放置されたままの毎時
0.43マイクロシーベルトという放射線量」と題して書いた。
那須塩原市の公園に立てられた毎時0・43マイクロシーベルト
いう標識をどう受け止めればいいのか、と。
この放射線量を放置することは政治の怠慢であり、不作為の罪に
ならないのか、と。
読者から大きな反響があり、その一人から自分で測って実感する事
からすべては始まると、ガイガーカウンターの寄贈まで受けた。
それを使って計測してみたところ、この1年間私は放射能汚染の中
で生活していた事をあらためて思い知らされた。
これから書くことはその続編である。
今朝(5月24日)の午前9時半から正午前まで自宅周辺の約8キロ
ほどの道のりをガイガーカウンターを片手に歩いた。
数値は毎時0・3−0.6マイクロシーベルトの間を頻繫に行ったり
来たりし続けた。
その道のりは田植えの終わった水田あり、幼稚園あり、小学校あり、
工場あり、民家あり、スーパーマーケットありで、要するに普通の
人々が日常生活を送っている空間だ。
その途次に私が放射線量の数値に関心を持つきっかけになった公園
もある。
5月15日のメルマガで書いた公園である。
公園のその日の標識は5月11日の測定値として毎時0.41マイ
クロシーベルトという数値が手書きで書き直されていた。
前回は4月12日の測定値として毎時0.43マイクロシーベルト
と書かれていたから、毎月一回測定していることがわかった。
その数値が先月と同じような数値で推移していることも確認した。
因みに私が手にしていたガイガーカウンターもその付近の数値と
して0.35−0.45の数値を示していた。
標識の近くでは0・4マイクロシーベルトと、見事に標識と一致した。
近くの芝生に腰を下ろして地表の数値を調べたらたちまち数値が
0.55−0・6に上がった。
その公園の砂場では三人ほどの若い母親がヨチヨチ歩きの幼児を
遊ばせていた。
ガイガーカウンターが示す放射線量の数値を見せることはさすがに
憚られたので、そのまま素通りしてしまった。
これら数値は直ちに人体に危険を及ぼす数値ではないかも知れない。
しかし我々は紛れもなく危険な放射線量の中で生活させられている。
そこで生活し続けることを住民の自己責任だと突き放したままで
いいのか。
すでに一部では被曝被害が体に現れてきているという報道も目にする
ようになった。
おそらく事態はもっと深刻に違いない。
政府や行政は間違いなく責任を放棄していると思う。
報謝線量の被害を隠しているか、さもなければ意図的に過小評価して
いると思う。
我々は自らの手の及ばないところで被曝させられた。
そしていまもなお被曝の中で放置されたままだ。
那須塩原市でさえこうだ。
福島の被爆者たちはどういう状態に置かれているか、想像にあまりある。
被曝者たちが本気で声をあげれば、政治家はその声を抑える事は
できない。
被曝から免れている幸運な国民は、被曝者たちがどんな要求をしても
彼らに何を言う権利もない。
被曝者はもっと大きな声を上げるべきだ。
私も被爆者の一人だ。
これからは大きな声を上げる。
那須塩原市みんなの党代表の渡辺喜美の地元である。
渡辺喜美放射能対策と脱原発を本気で訴えないならば、彼の政治家
としての将来はない。
渡辺喜美が本気で脱原発を訴えれば、渡辺喜美はたちどころに英雄に
なれるだろう。
渡辺喜美よ。小沢一郎と組んで日本の政治に脱原発の風を吹かせて
みよ。
渡辺喜美脱原発宣言は、放射能被害と無関係の橋下大阪市長
大飯原発再稼動に反対するのとは訳が違う。
橋下大阪市長が本物の脱原発派なら向こうから頭を下げて渡辺喜美
共闘を申し入れてくるだろう。
正しい事を本気でやれば世論の支持はおのずとついてくる。
これが那須塩原市の住民である私の渡辺喜美へのメッセージである。
悪いことは言わない。
少しぐらいは私の応援に耳を傾けたらどうか。

                             了