日中国交正常化40年記念式典の中止とキッシンジャーの高笑い

天木直人

日中国交正常化40周年の記念式典が直前になって中止された事が
大きなニュースになっている。
それを報じるきょう9月24日の各紙の記事の中で私が一番注目した
のは日経新聞の「きょうの言葉 日中国交正常化」と題する小さなコラム
であった。
そこには4つの政治文書が、日中国交正常化の40年の歴史の基礎を
作ったと淡々と次のように列挙されていた。
1972年 田中角栄首相が訪中し日中共同声明を発表し国交正常化
       実現
1978年 日中平和友好条約を締結。すべての紛争の平和的解決を
       確認

1998年 江沢民主席が来日し日中共同宣言を発表し、毎年どちらか
       一方の指導者が相手国を訪問することを確認

2008年 鼓錦涛主席が来日し日中共同声明を発表して戦略的互恵
       関係を推進することを確認。

これら4つの政治文書の間にも、1978年には訒小平副主席が来日し
記者会見で尖閣諸島棚上げを提起し、1979年には大平首相が訪中し
日本の対中援助を約束した。また1992年には今上天皇の初訪中という
歴史的行事があった。
この記事は事実だけだ。
解説は要らない。
しかし、その事実にこそ我が国の一大戦後外交であった対中外交の
積み重ねと先輩要人たちの苦労がすべて凝縮しているのだ。
その40年の歴史が、突然起きた、たかが尖閣諸島国有化一つで、
ここまで水泡に帰してしまう、このもろさ、むなしさは一体何なんだだと
いう事である。
その責任を野田首相一人に押し付ける気はない。
日本の責任だけではない。中国の責任ももちろんある。
一つだけはっきりしていることは米国のキッシンジャーがほくそ笑んで
いるだろうということだ。
キッシンジャーは日本の頭越にニクソン米大統領の電撃訪中を仕掛けて
日本を驚かせた(1972年2月)。
しかし田中首相が同年9月に北京に飛び中国との国交正常化を米国より
先に実現した。
これに激怒したキッシンジャー田中首相を口を極めて罵倒した。
いまや当時の関係者のほとんどはこの世を去ったがキッシンジャーはまだ
生きてる。
さぞかしキッシンジャーは溜飲を下げていることだろう。
安倍晋三をはじめとした自民党総裁選候補者たちは、そろって日米同盟が
しっかりしていたらこんな事はなかったと繰り返す。
自分たちが政権をとったら日米同盟の信頼回復を取り戻して中国に対抗する
と気勢をあげる。
米国の事を何も理解していない度し難いピントはずれだ。
民主党は終わった。
しかし自民党もまたどうしようもない連中の集まりだということである・・・