羽鳥湖の歴史⑥完成@備忘録

昭和29年にはダムの完成も目鼻がつき初め、締切り予定の場所では盛土、輾圧がすすめられ、取水操作室等の建設、堰堤、付け替え道路等もほぼ完成し、昭和30年に入るや補償も大詰めになり、工事も間近の完成までこぎつけ、羽鳥の山々を変貌させた。こうして、昭和31年1月、貯水池の仮り締切りがなされ、貯水の第一歩を踏み出し、羽鳥人造湖の夢は目の前のものとなった。 星吉右衛門の構想を引き継いだ「矢吹地区」は、大規模な開墾と羽鳥ダムをはじめとする農業水利施設を造成して、1964年(昭和39年)に事業を完了した。

羽鳥湖の歴史⑦記録@備忘録

春の雪解け水によって満水となったダムの景観にはもはや人造湖の面影はなく、自然の湖水のごとく、その静けさの中に1.600余町歩の灌漑水源としての偉容を誇り、那須連峰の麓に蒼々と水を湛えたのである。顧みれば、明治・大正・昭和の3代にわたる時代の変遷を経て、人力と英知と財力の限りをつくしてた羽鳥湖が天下に出現し、永久にこの地に水を湛えることが出来たのである。羽鳥ダムは、農業用水としては全国屈指の貯水量を持ち、また、山水の美を備え、その風向明媚な自然環境は県内有数の新しい健康基地となった。湖底を故郷とせざるを得なかった57戸の家ごとの名を記して、その歴史の記録とする。
天栄村史 参考)