大内宿

羽鳥湖高原から大内宿まで、自動車で1時間かかりません。友達が別荘へ遊びに来たときは、お決まりの観光案内ルートの一つです。大内宿のことを調べていくと、やはり、保存に尽力した人達が実在するんですね。ポイント①は、慶応4(1868)年の戊辰戦争当時、大内村の名主阿部大五郎が、東西両軍の焼き討ちから集落を守るため、両軍の将と掛け合い村を救った ポイント②は、英国ヨークシャー生まれの女性イザベラ・バードの来日。江戸時代末期、宣教師の父親に連れられてアジア諸国を回遊したバードは、その著書「日本奥地紀行」(高梨健吉訳 東洋文庫)の中で大内宿を紹介。ポイント③は、昭和42(1967)年9月、バードの著書を読んで大内宿を訪れた、武蔵野美術大学建築学科の相沢韶男という学生。ポイント④は、その後、相沢韶男氏が民俗学文化人類学泰山北斗となり武蔵美術大学教授として古民家の保存と伝統文化の継承者となり、その熱心な活動が文化庁を動かしたこと。私が大内宿へ行くと決まって伺う蕎麦屋の私と同年齢の女将さんは、若い頃、仕事がなくて東京に行ったが、25年前、実家が観光客で賑わうようになり戻ってきたとのこと。芽出たし目出度し愛でたし、ですね。弥栄、弥栄、大内宿。