尖閣諸島を考察

尖閣諸島は日本領なのかどうか調べてみました。

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2004年4月1日(木)「しんぶん赤旗」
尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島大正島の五島と、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬岩の三岩礁からなり、面積は5・56平方キロメートルで、甲子園球場の約百四十個分の広さです。

 一八八五年(明治十八年)以降、日本政府は再三にわたり現地調査し、これが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認の上、一八九五年一月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない、日本の領土に編入しました。その後、日本人が居住して、かつお節工場がつくられるなど、日本が実質的に支配してきました。

 この時期が日清戦争(一八九四年八月〜九五年四月)と重なっていたことから、中国は、日本が戦争に乗じて尖閣諸島を不当に奪ったと主張しています。しかし、尖閣諸島編入は不当な領土拡張ではなく、日清戦争とはまったく無関係です。

 日清戦争終結のための日清講和条約(一八九五年四月)は、台湾・澎湖諸島の日本割譲を決めました。これが日本側の不当な領土拡張であることは明らかですが、このなかに尖閣諸島は入っていません。交渉過程でも尖閣諸島の帰属問題はとりあげられませんでした。
 一九四五年、日本の敗戦により、カイロ宣言およびポツダム宣言にしたがって、台湾と澎湖諸島など日本が中国から不当に奪った地域は中国に返還されました。尖閣諸島はこのなかに含まれず、中国側も日本のポツダム宣言の受諾当時、尖閣諸島を要求していませんでした。

 この事実から、尖閣諸島の領有権が日本にあることは明らかですが、一九七一年以後、中国も領有権を主張しています。 

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「一九七一年以後、中国も領有権を主張」というのがポイントですね。 この辺りのことを更に調べて見ると、国連アジア極東経済委員会による1968年の調査で、尖閣諸島のある東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されていると報告された後のことです。台湾は70年9月、尖閣諸島に「青天白日」旗を立てて、71年4月に公式に領有権を主張しました。中国は、71年12月の外務省声明で初めて領有権の主張をしたとされます。やはり、最近の日本に対する中国政府の強行姿勢は、尖閣諸島周辺に埋蔵する1000億バレル以上の石油資源の確保が目的のようですね。この量はイラクの石油埋蔵量に匹敵するそうです。ブッシュ親子が仕掛けたイラク戦争もブッシュ石油ファミリーの利権獲得ですから、今回の中国の動きも同類と考えて間違いありませんね。数百兆円の経済規模の話しですから、キナ臭い話にこれからなっていきますね。日本政府は、米国政府と米国石油メジャー、それから中国政府を相手に国益を確保することになるわけですから、舵取りは相当難しいですね。ちなみに、日本の省庁には「国益」を定義したような文書は存在しないそうですよ。対照的に、米国にとっての国益とは「自国の企業が利益を拡大すること」「政治、経済、軍事、文化など、すべてにおいてアメリカ式価値観を世界に広めること」だそうですから、もうこれでは交渉スタート時点で敗退しておりますね。隣の韓国では、文字をもたないインドネシア少数民族にハングルを教える授業を開始したなんていうニュースが流れていますから、日本とまるっきり勢いが違いますね。没落日本の再生は如何に? ということになるわけですが、ナショナリズムインターナショナリズムの昇華が重要ですね。昔々、花田清輝がそんなこと書いた評論を読んだことがあるんで、もう一度調べ直してみます。