ダブルスタンダード社会2 原発は安全で危険

武田邦彦中京大学教授

原子力に携わってきた私としては原発事故の一要因として日本社会の特性をあげることはやや躊躇しますが、事故を繰り返さないためにも考えを進めておきたいと思います。原発の安全性に関する日本のダブルスタンダードは次のようなものでした。

【日本人が建前で使う御札】 原発は安全

【日本人の本音の気持ち】  原発は危険

【地元の人の心】      お金と危険を交換

日本人は床の間に「原発は安全」という御札を貼ってきました。首相、大臣、知事、市長・・・責任ある立場の人は「原発は安全」と繰り返してきましたし、福島原発事故のあとでも「原発は安全」と言っています。
また、原発が爆発したら、今度は「被曝量の限度が低すぎた。人間はかなり被曝しても大丈夫だ」という御札に取り替えつつあります。
日本人の多くは矛盾した論理にはまっていました。それは「建前としては原発は安全、本心は原発は危険」というものでした。
だから、日本の原発は「安全だが、危険なので僻地に作り、地元に危険手当を出す」ということを続けてきました。「安全だが危険」という矛盾した論理はどうして生まれたのでしょうか?

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正しくは、1)原発が安全か危険かをハッキリさせる、2)安全なら実施し危険なら止める、3)安全だから実施するなら電力の消費地の近くで水のあるところにたてる、4)東京なら利根川沿い、大阪なら琵琶湖湖畔がもっとも良い、ということになります。
このように考えると、東京の電気を柏崎や福島浜通に建設して延々、送電線で送っていたこと自体が奇妙な風景だったことが判ります。でも東京郊外や大阪の近くに原発を建設するということになると、反対が多いでしょう。でもこれを克服しないと日本は真の意味で原発を受け入れることができないと思います。
原発の運転が本格的になって20年。その間に震度6地震で7つの原発が破壊し、3つの原発が全電源を失い、1つの原発発電所)が爆発しました。また日本には震度6地震が1年に1回以上あります。そうすると、20年間で一度ぐらい今度の福島原発事故のような事故が起こることを意味しています。
100年後、日本は5回の福島級の事故を起こし、原発で日本国は無くなると思います。技術的には間違いありません。それをどのぐらい日本人が受容するか、それともこれまでのように塗布していくか、そこに私たちの子孫の運命がかかっていると思います。

平成23年10月25日) 武田邦彦