恥ずかしいのは、いまだにうそをついている人たちだ

天木直人ブログ

「恥ずかしいのは、いまだにうそをついている人たち。事故は
終わってはいません」
これはきのう(1月6日)の東京新聞こちら特報部」で紹介
されている福島県双葉町の井戸川克隆町長(65)の言葉である。
その「こちら特報部」は井戸川町長の言葉の数々を読者に
教えてくれている。
「(野田首相の『収束宣言』を)現場を知る者としてとんでも
ないことと思う。私は認めるわけにはいかない。」
「(放射性物質の)除去もできず住む希望も持てない一番ひどい
地域とされる双葉と大熊が事故の最大の被害者。ここに(核廃棄物
の中間貯蔵)施設を造れということを、誰にも言われたくない。
放射能をどこかに持っていけ』と、加害者に声を大にして言い
たい」
「私たちに『日本は世界一の技術で絶対安全』と言い続けてきた
原子力ムラ』の全員が加害者であると思っています。この人たち
が罪を償うこともなく、中間貯蔵施設で新たな職場を造ろうとして
いる」
「正月をこのような方たち(加害者)は、家族円満に我が家の畳の
上で幸せに過ごすのでしょうね。私たち避難民はできないのです。
したくてもできないのです。わが家に帰れないのです。年賀状を
喜んで見られないのです。」
「私たちは昨年3月11日から被ばくを繰り返している。これほど
の被ばく者を出し続けていて、世界から原子力輸出国として認証
されるのか疑問です。国家の恥だと思っています」
「地域の自然と同様、人間そのものを除染しなければ・・・
被ばくについて安全と言った人たちに、賠償を求めなければなり
ません」
そして極めつけはなんといっても冒頭の言葉だ。
もう一度繰り返す。
「恥ずかしいのは、未だにうそをついている人たち。事故は
終わっていません。」
菅、野田首相や枝野経済産業大臣、細野原発担当大臣らは原発
に何もかも奪われてしまった者たちのこの悲痛な叫び声を何と聞く。
それらの言葉は原発事故の対応を誤った東電や国の責任を糾弾
するこの上ない糾弾の言葉だ。
そしてそれはとりも直さず国民を軽視するこの国の政治やそれに
加担する官僚、財界、有識者、メディアに対する糾弾でもある。
地方の首長がこの井戸川町長のように立ち上がれば日本は変わる。
いくら解散・総選挙を繰り返しても、どのような政界再編や新党乱立
が起きても、この国の政治家たちには国民を救うことは出来ないだろう。
国民は恵まれた者と切り捨てられる者たちにますます二分化していく。
ならば権力の外に置かれている国民は立ち上がるしかない。
彼らもまた等しくすべてを要求できる国民だ。
税金と権限の一部を俺たちによこせと叫んで地方から立ち上がる
しかない。
そしてそれは世界でいま、同時多発的に起ころうとしていることである。
日本人だけが取り残されるわけにはいかないのだ。  
井戸川町長に呼応する首長がどんどんと出てくる事を期待する。                           
                                        了