ジワジワ広がる放射線物質 砕石は氷山の一角か

日々担々 資料ブログ

東京新聞こちら特報部」1月19日)

 福島県浪江町の砕石場から広がっている汚染コンクリート禍。空気や海水、がれきのみならず、放射性物質による汚染はじわじわと列島を覆いつつある。砕石は氷山の一角だ。規制がなかったり、手遅れになった事例は今後も出てくることだろう。一度起こしたら取り返しが付かない。それが原発事故の怖さだ。にもかかわらず、政府は原発の再稼働に向け、アクセルを踏み続けている。  (上田千秋、小坂井文彦)

 「やっと落ち着いた生活ができるようになったのに、また引っ越さないといけない」。問題発覚から三日たった十八日、高い放射線量が検出されたマンションの二階に住む主婦山崎ひろ子さん(63)はため息をついた。
 JR二本松駅にほど近いマンションは三階建てで、計十二世帯が居住。うち南相馬市浪江町からの避難者が五世帯ずつを占める。山崎さんも福島原発事故後、同町の警戒区域内にある自宅から夫(68)と長女(40)、中学校三年(15)と小学校五年(10)の孫娘二人の計五人で同町内の知人宅にまず避難。二本松市内の体育館や旅館での避難生活を経て、昨年八月に完成間もないこのマンションに引っ越してきた。

 多くの住民が転居の意向を持っているという。山崎さんは「私たちの年代はともかく、孫たちのことがやはり心配だ。ただ、上の子が高校受験なので、それが終わるまでは動けない。正直言えば、もう引っ越すエネルギーなんてない。でも、孫に動揺したところは見せられない」と話した。

 一階に住む男性(37)も昨年八月、結婚を機に妻と二人で入居した。「他の地区にも線量が高い場所はある。だが、子どもができた時のことを考えると、引っ越した方がいいと思う」と語った。
 マンションは同市の建設会社「佐藤組」が昨年二月に建設を開始。佐藤組の佐藤昭次社長は「よもやこんな問題が起きるとは想像しなかった。専門家にも話を聞き、放射線量を下げる方法がないか検討しているが、いずれにせよ、かなりの費用がかかる」と困惑する。

 問題の砕石を出荷した双葉砕石工業(同県富岡町)が原発事故以降に出荷した石は約五千二百八十トン。二百数十の建設会社に流れたとみられ、全容把握には相当の時間がかかるとみられる。

 二本松市原発事故以降に実施した約百六十の公共工事について、建物や道路などの放射線量調査を開始。市放射能測定除染課の担当者は「市で把握できるのは市内のことだけ。少しでも情報がほしいのに経済産業省からは何の連絡もない。報道で初めて知ることばかりだ」と憤然とした。
 同市の建設業者三十八社でつくる「安達太良建設協会」も十八日、原発事故以降に着工・完成した物件の放射線量を各社が独自に調べることを決めた。協会の本多勝一会長は「風評被害も心配だが、お客さんに迷惑をかけることが一番心苦しい」とため息をついた。
 ある業者は「出荷時点では放射能をよく知る人は少なく、砕石会社を責めるのは酷だ」と同情しつつ、「東京電力はもとより、国が何の基準も決めていなかったことこそ問題だ」と憤った。

 今回の問題は突発的に起きたように見えるが、福島県は昨年五月末、政府の原子力災害現地対策本部に県内の建築資材の取り扱いを問い合わせていた。コンクリート原料になる下水道汚泥から高濃度の放射性物質が相次いで検出されたためだ。
 しかし、政府からの回答はなく、県も何の対応も取らなかった。内閣府原子力被災者生活支援チームの担当者は「高濃度の汚染地域から人が避難したので、問題のある建築資材は出回らないと思った」と説明。県災害対策本部原子力班の担当者は「耕作地の汚染問題などに追われ、建築資材は放置してしまった。屋外に置かれたもの全てというと、際限がなく対処できないという思いもあった」と打ち明けた。

 ただ、同県の建材業者は「国も県も業者も皆、石が放射性物質に汚染されていることは分かっていたはずだ」と語り、別の土木業者によると、県内では事故後、砕石以外にも砂利などが野放図に採取され続けていたという。「富岡町から川内村に上ったあたりで良質の砂が採れる。まずいよなあ、場所的には」
 この業者は「震災が起きた直後には県外の廃品業者が来て、野積みの銅線もどんどん持って行った。どこの銅線かなんて、それを買う業者は聞かない」と言った。

 農機具も同様に現金で買われた。津波で農地が海水につかり、老夫婦での再建をあきらめた農家が安価に手放したものが多い。復旧作業で使用した重機も問題だ。ある業者は「重機の多くはレンタル。返す際に放射性物質が付着している可能性は当然あるだろう」。
 中古車問題も深刻だ。県内の中古車販売業者はこう話す。「バンパーなど車の隙間に放射性物質が入り込んで、洗っても全部は落ちない」

 オークション会場で、「福島ナンバー」の落札額は標準の半額以下だという。「だから、ナンバーを外して出品する。客から店への名義書き換え中だと言えばいい。外せば、落札額は他県のものと同じ」と言う。飯舘村のトラックも販売した。「トラックは現場を走るから放射線量が高い」。エアクリーナーで毎時一二〇マイクロシーベルトを計測したこともあったと振り返る。

 ただ、購入後に「福島」とばれ、「エンジンが壊れている」などと返品を求められたことも。それでも「売った者勝ちだ。俺らも売らなきゃ、ご飯が食べられない」。

 汚染は確実に列島に広がっている。私たちはこうした事態にどう向き合って生きればよいのか。
 ジャーナリストの斎藤貴男氏は「(行政は)関心の高い食べ物は規制したけど、石や砂利は建材に使えば分からなくなると考えていたのだろう。規制して安全性に不安を抱かれることを嫌がった」とみる。「こうした危険は続く。深刻なのは、多くの人が原発事故を忘れかけていることだ」

 京都大原子炉実験所の小出裕章助教は「砕石問題が出てきたのは当然のこと。私たち自身もどこまで(被ばくを)受け入れ、どこから受け入れてはいけないのか、線引きしなければならない。日本はもはやそういう世界になった」と話す。
 「政府と電力会社のウソが原因だが、彼らはまだ原発を再稼働させようと狙っている。原発の寿命をとなえて、それにすぐ二十年を足そうという人たちが国を動かしている。市民がどこまでだまされるのか、それを私は最も心配している」

 <デスクメモ> 「事故収束」といったうそをつく。対外的な信頼が落ちる。米国頼みが強まる。カモにされ、苦し紛れに次のうそを言う。この国は衰退の一路だ。安全評価(ストレステスト)の会場が占拠された。たしなめるのが大人の作法だろう。が、遠慮する。衰退を見逃す作法より、粗野な大義に心を寄せたい。 (牧)