主催者発表と警察発表だけを報じるマスコミ

武田邦彦中部大学教授

最近、反原発の大きなデモが2回あった。最初のデモでは、主催者発表15万人、警察発表1万7000人となっていた記憶がある。2回目が主催者17万人、警察5万人だったと思う.少し数字が違っているかも知れないが、おおよそこのぐらいだったし、多くの人が主催者発表と警察発表が大きく異なることを知っている.

マスコミによっては、原発事故を軽く見ようというところは警察発表を、原発事故を積極的に報道しようとするところは主催者発表を採用する傾向がある。

もちろん、両方ともある程度の根拠があると思うが、これでは報道にならない。報道するからには記者は「自分の目」でみた数字を出さなければならない。そうすると「責任」があるので報道しないのだが、もともと報道とはなにを報道してもその内容には責任がある。

戦争の時には「大本営発表」というのがあった。事実と違うからと批判を受けたが、戦争中だから戦っている方にはいろいろな事情がある。でももし「報道の自由」があれば、大本営発表がどうであれ、取材によって正しいと考えられる結果を報道するのが筋だ。

戦争中は報道の自由がなかった。でも今はあるのだから、マスコミは「主催者発表」、「警察発表」を止めて、「取材で確認した人数」を明らかにしなければならない。当然のことだ。取材をして当事者の言い分だけを報道しても意味が無い。

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今から5年ほど前のことだが、その頃、ペットボトルはリサイクルされているのか?が問題になっていた。この問題は、
1)一般市民はペットボトルがリサイクルされていると思いたい、
2)マスコミはペットボトルがリサイクルされているように報道した手前、リサイクルされていないことを報道できない、
3)業者は補助金をしこたまもらっているのでリサイクルするといって引き取るのを止められない、
4)官僚は「焼却してもリサイクル」という法律を作り放り出しているし、自治体は現実には焼却していることがバレると困る、
という状態から生まれていた.

あるテレビ局が大学に来られて、私にインタビューした。ペットボトルがリサイクルされているかについてのコメントを求めたのだ。私は自分の考えを述べた後、「これから何を取材されるのですか?」とお聞きすると、「リサイクル派の方に聞きに行く」と言われたので、「むしろ、テレビ局自体でリサイクルされているかどうか、取材をされたらどうでしょうか?」と言った.

最近、マスコミの報道も経費節減で現地取材などなかなかできない。かつてはマスコミの記者が足を使って歩き回り、「真実」を求めたものだが、今では誰かに面会して取材するか、それなら良い方で旅費がないからと電話取材も増えてきた.

マスコミの記者ばかりではない.私たちの分野、つまり学問の分野でも「人のデータ」を加工するだけの場合が多い.数年前、東京の一流大学の大学院修士論文の審査のご依頼を受けたことがある。もちろん、修士や博士の審査は他大学の先生が入った方が良いので快く引きうけ得た.

その後、審査対象の修士論文が届いてビックリしたのは、そこで採用されているデータはすべて「官報、白書、公的報告書」なのだ。確かに公的データを使えば、データの出所について非難を受けにくい.私の著書が批判を受ける一つの原因が「権威のないところのデータを使う」ということによっている。そんなことで学生が大学院を修了できないのも可哀想なので先生としては公的データを使わせたのかも知れない。

私は「お引き受けして申し訳ないが、審査もできません」と理由を付してお断りした.哲学などを別にすると学問はデータが勝負である.そのデータが官庁のデータではどうにもならない。官庁のデータは事実より政治的配慮が優先しているから、そこから導き出される結論は間違っている可能性が高い.

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日本に民主主義が誕生してから歴史も浅いし、もともと血を流して獲得したという経験も少ない。日本国憲法にあるように民主的国家を作るには利権や権力と戦い続けなければならない。人間はまだ野蛮なのだ。

平成24年7月29日)                               武田邦彦