羽鳥湖と羽鳥湖高原という俗称

昭和38年当時、羽鳥湖高原は布引山と呼ばれていたようですね。『羽鳥湖高原誕生秘話』に書いたとおり、売買契約書にも布引山という名称が使われています。羽鳥湖の名称は、ダム建設で沈んだ羽鳥部落が由来で、羽鳥湖高原の俗称は、『羽鳥湖高原の名の由来』にも書いたように、リゾート地として開発が整い始めた昭和の終わり頃ではないかと推測しています。天栄村大字田良尾字芝草1-00000という地番より天栄村羽鳥湖高原1-00000 のほうがリゾートとしてのイメージ・体裁がいいですもんね。 綾小路きみまろではないですが、「大切なのは見て呉れ」なんですね。