Simulacra and Simulation  

独りファシズム
マスメディアのテーゼとは他の産業分野と同じく、投下資本の利回りを最大化すること、すなわち純然たる営利活動に過ぎないわけです。報道の無謬性とはまったくの虚妄であり、むしろ圧倒的情報伝達力を担保として権力機構に与されながら、恣意的な認知操作をもって大衆扇動を行う教唆性こそが本質です。報道の根本原理とは産業資本と官僚機構による統治システムの絶対化に他ならず、道徳性が介在する余地はありません。

自分は〇日新聞の子会社で1年ほど編集に携わっていましたが、製作にかかわる命題は、とにかく低劣なものを作れ、ということでした。ブロードバンドがインフラ化した時代においてもなお紙媒体に依拠する情報弱者、知的欲求に乏しい主婦や高齢者などのB層がセグメントだったわけです。

記事の執筆にあたり修辞法などを使うと「馬鹿な連中が読みづらい」と、たちまち上からクレームが入る始末でしたから製作方針は終始徹底しています。読者あるいは視聴者の知性をはなから見下し冒涜するという卑しい内在的論理は、全てのクロスメディアに通低します。

この国では北朝鮮なみの報道規制がしかれ、自国の情報を得るため他国のメディアに依存する事態となっているわけです。福島原発から放出される放射性物質は日割り換算でおおよそ小型原爆1個分相当であると6月度にエントリーしたのですが、つい先日の公式見解よってこれが裏付けられる結果となりました。

マスメディアは事故発生当初より殺傷的な放射性物資の飛散量を知りながら、行政府の通達によりこれを隠蔽し、結果、避難機会を失した200数十万人の周辺住民を被曝させたわけです。ついには幼い生命から急性白血病と遺伝子断裂の発症例が報告されるに至りました。つまり、国家と報道による殺戮です。

原発から発せられる膨大な水蒸気が懸念されていたのですが、海外メディアによれば、これによる放射性物質は日本国発表の5万倍に見込まれるということです。首都圏の空間線量もすでに内部被曝が懸念されるレベルに達し、国家中枢が汚染され、数千万人の被曝が懸念される事態となり、世界は固唾を呑んで一文明の終焉を見守っています。

初動対応から一連の動きを勘案すれば、行政府が完全な思考停止状態にあることはあきらかであり、問題先送りと利権温存の二点に終始し、国家の存続という大局を敷衍する指導者は皆無だということです。

最悪のシナリオとして、このまま汚染が進捗すれば、生産と流通の下部構造に支障をきたし、やがては金融と行政の上部構造は不全となり、信用創造、決済システム、最終的に政府機能が停止するでしょう。「国家緊急権」が発動され、言論、移動、入出金、集会など個々のあらゆる権利が制限される事態となるのかもしれません。

昭和21年、終戦後の混乱期においては預金封鎖が実践され、国債償還に対し100%課税、富裕税による資産没収が法制化されました。いずれにしろ緊急事態に際し国家が超法規的措置をとることは、日本国憲法において厳と認められているわけです。

体制維持にむけた言論統制が加速しつつあります。経済産業省アサツーディ・ケイに対しネット監視業務を外注しましたが、これはその予示であり伏線に他ならないわけです。米国では9.11以降、愛国者法の制定により、反政府的または反戦的なサイトが一斉に削除され、運営者は逮捕、拘束される事態となりました。

米国へ常に帰順し、3.11以降事実上の有事にあるこの国において、中央集権型監視システムと弾圧が踏襲されるのは必定なのかもしれません。米国ではすでに軍事系コングロマリットを母体とするセキュリティ企業約500社が監視産業へ参入し、10兆円規模の市場を形成していますが、この国においては広告代理店がその先鞭をつけたわけです。

原発および反政府的サイトの検閲はすでに始まっています。PV、コンテンツの精度、影響力等を段階評価したセグメンテーション、つまりブラックリストの作成が着手されているわけです。現法制度において検閲や思想の取り締りなどできない、というのは希望的観測に過ぎません。

震災の混乱に乗じ「コンピュータ監視法案」が可決されましたが、この法理論は胡乱に抽象的であり、拡大解釈によっては言論弾圧を合法的に可能とする危険性を包含しています。また、今後は関連法案が逐次に可決される見通しもあり、この発展過程は慄然として治安維持法に相似しているわけです。

3.11以降、この国の民主主義はとっくに瓦解し、官僚ファシズムによる国家暴力が跋扈をはじめています。