JR郡山駅さくら通りの放射能散策

WINEPブログ

具体的に線量計を持って歩いてみなければ、放射能汚染の状況は体感できないものである。

郡山で農水省主催の放射能汚染関連の国際会議があったので、前日にでかけて郡山のホテルに泊まることにして、JR郡山駅から「さくら通り」沿いに線量計を持って昼間6時間をかけて測定しながら歩いてみた。

JR郡山駅のエレベーターを降りた構内は0.05μシーベルト/hrで安心した。ところが西口から人道にでるといきなり0.26μシーベルト/hrであった。さくら通りを西に歩いていくと上り坂になりホテルハマツの前を通過(1.02μシーベルト/hr)、坂を上り切ったところに右手にセブンイレブンがある。ここは突風が吹いており線量計の数値が激しく揺れて0.25-1.3μシーベルト/hrを示した。明らかに放射性粉塵が舞っている。

県立安積黎明高等学校があり、学生たちは学生服でマスクもせずにじゃれあいながら下校している。学校の正門の前の3つの長い木製ベンチは表面が2.2μシーベルト/hrを示した。男の生徒が人待ち顔にうっかり座ったので線量計の値を見せたら、飛び上がって席を立った。かっぱ寿司郡山さくら道店の前の駐車場脇にある大きな木(ケヤキか?)の切り株の上は3.40μシーベルト/hrを、コンクリートの駐車場の水が流れ込む端は微砂がたまっており、近接で8.97μシーベルト/hrを示した。郡山市役所の駐車場は1.5-2.0μシーベルト/hrであった。

市役所から、さくら通りを隔てて,開成山公園があり、公園内には久米正雄が俳号に使った三汀湖がある。この湖の周りの多数の高木の下を3月7日に市当局が午前中に手荒く表土をえぐり取って除染した直後であった。(えぐった後は1メートルの高さで0.05-0.32μシーベルト/hr)。えぐった大量の表土はどこに持って行ったのだろうか? 陸上競技場はすでに除染して新しい砂で均(なら)していて、0.23μシーベルト/hを示した。そこで生徒たちが走ったり槍投げをしていた。

近くに「郡山文学の森資料館」があり、庭園には久米正雄の家(鎌倉の家族が寄贈したとのこと)と碑( 漁城 移るにや 寒月の 波ささら  三汀)があり、宮本百合子菊池寛芥川龍之介等の文学作品や手書きの原稿が資料館には興味深く並べられていた。資料館の建物の中はおおむね0.07μシーベルト/hr以下であったが、管理人によれば、園内の道路は高圧洗浄機で一度除染した(0.23μシーベルト/hr)がアスファルトの表面がギザギザで除染し切れていないとのことである。除染が手つかずの庭の築山などは2.32-3.65μシーベルト/hrを示した。

そこから近くの郡山市豊田浄水場を一回りしたが浄水場のまわりの植え込みのヒマラヤスギやモミの木の下は1μシーベルト/hr前後をしめし、落ち葉は近接で6.97-9.24μシーベルト/hrと高い値を示した。

この公園や浄水場の辺りは東電福島第一原発爆発当時には相当高濃度の放射性雲プルームが飛んで来て雨が降ってfalloutが降り注ぎホットスポットを形成したものと考えられた。当時の水道水のデータなど大丈夫だったのだろうか、気になるところである。
                
うーん、とてもこんなところには住めないな、というのが、大学で放射性同位元素実験室での実験で放射能を人一倍浴びてきた小生の実感である。