羽鳥湖の歴史②大正@備忘録

吉右衛門の壮大な「西水東流構想」は、生前には陽の目を見ることができなかった。その頃、矢吹が原に宮内省御開墾所による開墾計画が立てられたが、 1890年(明治23年)莫大な開発費が障害となり計画はに打ち切られた。その後、大正4年、地元有志と協議し、矢吹ヶ原の開田実施計画を知事に繰り返し申請した。ここで福島県はようやく羽鳥地区の調整を行うことになり、これを契機に県による羽鳥地区の調査が開始され、1924年大正13年)、当時の農林省によって土地利用計画が樹立された。これは日本海に注ぐ阿賀野川支流の鶴沼川を羽鳥地区内でせき止め、矢吹が原一帯を灌漑するもので、星吉右衛門の構想、さらには現在の開発にもつながる大プロジェクトの始まりであった。