羽鳥湖の歴史⑤着工@備忘録

終戦後の時代相により、この事業も改めて世の脚光を浴び、国策として大きく取り上げられ、具体化に向けて昭和21年から活発な運動となり、白河市西部大地に位置していた旧軍馬補充部用地を併せて開発、従来の用地を「矢吹地区」、新規用地を「白河地区」として事業に含め、1946年(昭21年)に農林省白河矢吹開拓国営事務所と改名した。そして昭和24年、本格的に羽鳥ダム築造工事に着手した。当時、国内の戦災復興建設工事で支障もあったが、国民の切実な食料増産につながる工事として工事進行は活気を呈し、この羽鳥湖築造工事も早期完成が望まれ、進行は著しかった。食料増産を目標とする各地からの視察見学も急増した。湖底に沈む地元民の協力と決意もあって、困難な補償問題も順調に進んだ。深山の現場は様相を変え、電灯がつき、ラジオは鳴り、人々は盛んに工事進行に期待した。